べぽストーリー

僕が学生結婚した時の話

こんにちは。べぽです。
今回は自分のエピソードの中から、学生結婚した時の話について書いていきます。

妻の妊娠の発覚

「トゥルルルル(電話の音)」
着信を見ると、彼女(=今の妻)のお母さんからの電話だった。

自分は大学が終わったばかりの時間で、ちょうど帰宅しようとしていたところだった。

「もしもし?」
「今、〇〇(妻の名前)が入院することになって病院に来ているんだけど、来てくれる?」

あれ?昨日まで元気にしてなかったっけ?入院?いったい何があったの??しかもお母さんから、何で電話?
彼女のお母さんとは2~3度あったことがあるくらいだった。そんなお母さんからの電話である。

突然の事に頭が混乱した。ともかく、病院に行ってみるしかない。
当時、自転車通学だった自分は向きを変えて、病院に急いで向かった。

「遅くなってすみません!〇〇の状態はどうなっているんですか!?」
「まあまあ落ち着いて。今からそのことについて説明するね。」

彼女のお母さんは意外なほど落ち着いていた。

「〇〇、どうやら食あたりになったみたいなの。みそ汁で食べたワカメがいけなかったんだって。賞味期限切れてなかった?」
食あたり?え??内容のしょぼさに拍子抜けした。
「・・・あー、賞味期限見ずに使ってましたね。。。なんというか、ほんとすみません。ご心配おかけしました。」
当時、自分は彼女と同棲していた。そして彼女がいつも自分のために手料理をふるまってくれていた。一人暮らしの男の自炊なんて、ザ・適当のかたまりのようなものである。賞味期限など気にせず使っていた。彼女も僕の家にある食材を適当に見繕って、いつも作ってくれていた。まさか、こんな結果になるなんて・・・。

続けて、彼女の母が話す。

「でもね。ここからが驚かないで聞いて欲しいの。」
え?お母さんのトーンが急に変わったのに、少々戸惑った。しかも驚かずに聞けって何??
「〇〇のお腹に赤ちゃんがいるみたい。」
その瞬間、僕の世界は凍り付いた。

続けてお母さんが話す。
「妊娠して1~2か月くらいなの。べぽくん心当たりある?」
・・・終わった。絶対に殺される。自白した瞬間、殺される。食あたりで入院という事態をようやく呑み込めたと思ったのに、メガトン級の衝撃を受けた。
「・・・心当たり・・・あります。」
一言一言を吐き出すのが重たかった。でも隠してもしょうがないことだ。お母さんもかなりの確証を持って話している。
「そうか。分かった。〇〇は2~3日で退院できるみたいだから、それから2人でゆっくり話をして。」
彼女のお母さんはそう言うと、僕を殴りつけることもなく、また声を荒げる様子もなく、彼女の病室に向かった。

2日後、彼女は退院した。

結婚を決意するまで

彼女の症状が回復し、無事に退院することになった。2人で自宅のアパートに帰る。帰りの道中は無言だった。
アパートに着くと、僕から話を始めた。

「退院できて良かったね。具合はどう?」
「うん。大丈夫。お母さんから聞いた?」
「うん。聞いた。」
「・・・それでね、私は産みたいと思うの。」

産みたい。・・・正直、自分が一番恐れていた言葉だった。よし、そうか!頑張ろうという気には全くならなかった。自分の中では、下ろすことしか考えていなかった。

自分は卑怯な人間だ。

それから彼女は、せっかく授かった命だから大事にしたいし、育てていきたいと涙ながらに訴えた。
自分も話を聞きながら、一緒に泣いた。

頭はずっと混乱しっぱなしだった。涙を流す彼女を落ち着かせながら、自分はこの先どうすればいいか考え続けた。自分には恐れがずっと残っていた。

・どうやって妻と子どもを養い、育てていくのか。
・学生の自分にはそんなことができるのか。
・出産にかかるお金はどうしたらいいの。
・大学はやめた方がいいのか。就職した方がいいのか。
・そもそも子持ちの学生なんて就職できるのか。

などなど、疑問が浮かんでは、次の疑問が浮かび、頭はパニック寸前だった。
当時、アルバイトすらしたことがない世間知らずな人間だった。働いてお金を稼ぐことなど微塵も想像できなかった。まして出産にかかる費用なども知らなかった。

目の前で泣く彼女。ひたすら考え続けた。考え続けて、一つのシンプルな結論を導いた。

これから生まれてくる命は、僕たちの事情なんて関係ない。それを自分の都合でどうにかしてしまうのはいけない。自分はどうなってもいいから、彼女の心と体を傷つけないためにも、生まれてくる命を大切にしよう。

「わかった。この子を産もう。俺、バイトする。そして一緒に頑張ろう。」
彼女の涙が止まった。

そして、それから数日後、親しかった友達の勧めもあり、彼女にプロポーズをして結婚を申し込んだ。

情けなくてかっこ悪すぎて、ここには書けるようなものじゃないけれど、彼女は結婚を受け入れてくれた。

自分には婚約指輪も買ってあげられるお金もやっていけるだけの稼ぎもなかったけど、そんな自分を受け入れてくれて、授かった命を産みたいと言ってくれたのだった。

親への報告

彼女と人生を共にすることを誓い合い、次のステップへ進んだ。
まずは彼女のお母さんに、これから結婚することを報告した。

お母さんは彼女、つまり娘を愛していた。家から離れて自立することに戸惑いはあったものの、応援しているよと声をかけてくださった。
それから、彼女の周りの祖父母にも報告をした。祖父は僕に問い詰めた。険しい表情だった。

「2人でやっていけるんか?」

当時は1回しか会ったことがない方だったので、本当に怖かった。めっちゃ緊張もした。この方自身も自営業をされていて、今まで相当な苦労をされてきたと聞く。人生がうまくいかないことも知っている。一言一言に重みがあった。

自分はプレッシャーに圧し負けないように、必死に耐えて答えた。

「はい。これからがんばって育てていきます。」

「・・・そうか。それならがんばれよ。」

そう言うと、ポンポンと肩を2回叩かれた。
彼女の親族周りにひと通り、事情の報告と今後の決意を伝え終わると、今度は自分の親へ報告した。
僕は県外に進学したので、遠方に住む両親に電話で話をした。

電話には母が出てくれた。
「もしもし?」
「ああ、僕だけど。今電話大丈夫?」
「何?それより元気してるの?」
「うん。おかげさまでね。あのね、驚かないで聞いて欲しいんだけど・・・。」
「え?何よ。」
「前に実家に帰ったときに、同棲している彼女がいるって話したよね?実は、その子が妊娠したんだ。それで僕と彼女は、その子を産みたいと思っている。きちんと会って話したいから都合を教えて欲しい。」
「はぁ?!」

しばらく母は黙り込んだ。

「・・・ちょっと頭痛いから、お父さんに話をする。また夜に掛け直すから。」
そう言うと、ブチっと電話を切られた。我が家ではどちらかというと、父の権限の方が強かった。おそらく母は決定権を父に委ねたのだと思う。

それから夜の、たぶん20時ぐらいだったと思う。父から電話がかかってきた。

「おい、お母さんから聞いたぞ。お前、自分が何を言ってるか分かってるのか?」
僕は少し身構えた。
(今でこそ父には尊敬の念でいっぱいではあるが、当時は父が嫌いだった。毎日夜も遅くに帰ってきて、遊んでもらった記憶がほとんどなかったからだ。家族旅行には連れて行ってくれたものの、休日にはパチンコか釣りに出かけるばかりだった。)

「うん。分かってる。覚悟もしてる。」
自分も少しぶっきらぼうに答えた。
「・・・はぁ。今度都合つけて、そっちに行くから。また連絡する。」
それだけ言って電話が切れた。

それから2週間後に、両親が僕の自宅にやってきた。
8畳1間の部屋に、僕と妻、そして両親の4人が正座して向かい合う。
重苦しい空気だった。こんな空気は今まで味わったことがなかった。

父から口を開いた。
「本当に大変なことをしでかしたね。それで、これからどうするつもりなん?」
「バイトしてお金稼ぐ。それで家族を養っていく。でも大学は辞めない。きちんと勉強して卒業したいから、これまで通り費用の援助はしてほしい。」
私は仕送り学生だったので、親に今まで通りの援助を求めた。今考えると甘い考えだったが、大学進学を許してくれた親の期待に応えるためにも卒業するのは筋だと考えた。

「〇〇さん(妻の名前)は、それでいいの?」
「はい。私も休学申請は出しますが、出産後は必ず卒業する予定です。」
そして改めて僕に問いただす。
「働くって簡単に言うけど、勉強しながら、ちゃんとやっていけるのか。」
「今は大学の授業にも余裕があるから、そういう隙間で働くか、夜にまとめて働くようにする。近くにいいバイト先もあるみたいだし、なんとかなるよ。」
「じゃあ、もしお前が病気とかで働けなくなったら、どうするんだ?」
意表を突いた質問だった。そっか自分が働けなくなることもあるのか・・・。
少しの間、無言になった。

「そういうリスクまで物事は全部考えてから動くものだ。それでも、やっていける覚悟はあるのか?」
畳みかけるように言い寄られる。
「・・・それはお父さんも同じことじゃないの?でも、こうしてやっていけてる。だったら自分もできるよ。」
ちょっとずるい答え方をしてしまった。
「だったら、やってみたらいい。」
それで話し合いは決着がついた。父としては腑に落ちていないようではあったが、絶縁は避けることができた。

母は妻の体調を気遣って、その場を後にした。

それから1週間後、バイト先を見つけて働くことになった。

アルバイトを始める。

出産にかかる費用を調べてみると、50万円程度はかかるらしい。そのうち出産費用は国が補助してくれることまでは分かった。しかし、それ以上の事は分からなかった。当時はmixiが流行ってた時期で、学生結婚した人のブログなんていうのも見かけなかったから、ほんとに手探りの状態だった。

とりあえずは受かったバイト先で働くことに集中するようにした。選んだバイト先は近くのゲームセンター。ゲームが好きだからという単純な理由で応募したのがきっかけだった。たばこ臭い店内で、ほとんど常連さんがメダルゲームか格闘ゲームをするような小さな店舗だった。

ゲームセンターの仕事は思っていた以上に肉体労働で、メダルの回収はバケツを使っていたので、かなり重たかった。店内を見回りしつつ、画面が汚れていたら拭き、メダル詰まりがないか確認したり、エラーを直したり。考えてみればゲームは好きだったが、ゲームセンターのゲームはほとんど遊んだことがなかった。知っているタイトルはいくつかあったものの、まったくやる気になれなかった。幸い職場の人は気さくな方が多く、丁寧に仕事を教えてくれた。この世界では早く正確に仕事することが評価に直結していた。僕にとっては初めてのバイト先という事もあり、なにがなんでもしがみついていこうという気構えではあった。しかし、毎日の重労働に神経はだんだんすり減っていった。

昼は講義を受け、夜はバイト。帰ってくるのは23時過ぎだった。
妻が晩御飯を作って待っていてくれていた。0時前に一緒に食べるご飯が、1日の楽しみであった。

定期健診には毎回付き添った。お腹の赤ちゃんがどんな感じなのか。妻に栄養は足りているのか、予定日はいつなのか、立ち合いにするのか。妻のお腹が大きくなるにつれ、自分も父親になるのかという自覚が芽生えてきた。そして今のバイト先では、妻に負担をかけ続けるかもしれないと思い、違うバイト先に応募した。
幸いすぐに返事が来てくれたので、そちらに行けることになった。

ゲーセンのバイトを辞めるのに、かなりの躊躇はしたものの、これも家族のためと割り切って店長に話をした。
もう少し続けないかと引き止めは少々あったものの、自分の意志が固いことを告げると、向こうもあきらめてくれて辞めることができた。

そして今度は喫茶店のスタッフになった。こちらは、百貨店の中の喫茶店という事もあり、教育が行き届いていた。全店舗共通の社員研修があった後、各店舗で研修を受けるというスタイルだった。バイトのスタッフは自分と同じように大学生がほとんどで、話もよく合って楽しかった。先輩はコーヒーの知識もかなりあり、かっこよかった。店内もおしゃれで、常連さんもよく来る店のようだった。常連さんはお金に余裕のある主婦層がほとんどだった。

飲食店ではゲーセンと違って、忙しい時間帯がある。お昼時と15時。この2つの時間帯は文字通り目が回る忙しさだった。店内の席番号を覚え、メニューを覚え、レジの操作を覚え、サービングを覚え、コーヒー豆の挽き方を覚え。先輩スタッフは涼しい顔して全てをこなしていた。失敗もたくさんして怒られたこともよくあった。それでもコーヒーに関する知識を覚えていくのは楽しかった。閉店後はお店で出しているメニューやコーヒーをまかないで食べることもできた。自分の中では、コロンビアとブルーマウンテンがお気に入りになった。

続けていくうちに、ホールからキッチンを任されるようになった。サイフォンを使ったコーヒーの淹れ方を教わり、メニューのレシピを教わった。最初は簡単なものからだったが、料理もまともにしたことがなかったので、不器用さを店長によく叱られた。季節限定ものになると盛り付けの仕方も複雑になり、覚えるのが大変だった。これがビーク時には何十個もオーダーが入るのだから、作るのが必死だった。お客さんのメニューを作り忘れることもよくあった。

結局、コーヒーに関わること自体は楽しかったので、卒業までそこでバイトすることができた。

一方、妻と子どもの状態も健康そのもので順調に大きくなっていった。お腹もはっきりと出てるのが分かり、胎動を感じられるようになった。お腹に耳をあてると、ポコポコという音が聞こえた。

エコーでも子どもの姿がはっきりと分かるようになり、5か月目には性別も分かるようになった。

女の子だった。

エコーで顔を写そうとすると、手で顔を隠しているように見えた。かなりの恥ずかしがり屋さんらしい。
名づけの本も買った。出産に必要な準備や赤ちゃんを迎えるためのグッズも買った。お金はなかったので、中古品とかも積極的に利用した。妻はその辺の手際が良く、いつの間にかチャイルドシートも中古で手に入れていた。
ベビーカーも中古品。ピカピカなものはなかったけれど、赤ちゃんが来るという期待感でいっぱいだった。

手作りの結婚式

僕の周辺にも出産の話が伝わった。周りの反応は様々だった。心配をしてくれる人、祝福してくれる人、厳しい指摘をしてくる人。そんな中でも僕が入っていたサークルの仲間には衝撃が大きかった。

僕は当時サークル長を務めていたこともあり、バイトを始めてから活動に支障が出るようになった。このままでは皆に迷惑をかけると思ったので、自分のこれからについて話をした。サークル長は当時、副担当していた友達に引き継いだ。その友達は心から信頼できる人で、2人で会って出産の話をした時も、驚きはしたものの「わかった」と言って引継ぎを承知してくれていた。

他の同期の友達も、僕たちにお金がないことを知っていて、僕ら夫婦の事を真剣に考えてくれ、“結婚式を開いてあげよう”という話を持ち掛けてくれた。

本当にうれしかった。
皆がこんなに僕らの事を思っていてくれたなんて知らなかった。

結婚式は学生食堂の2Fで開かれることになった。
僕たちはレンタル衣装屋に行き、ウエディングドレスやタキシードを選んだ。人生で初めてのウエディングドレスを選ぶ妻は嬉しそうだった。

招待客は親族とサークルの仲間たち。OBも来てくださったので、5~60人くらいの規模になった。
僕も両親を招待したが、「距離が遠い」という理由で断られた。

壁の飾り、花道、会場 何もかもが全て手作りだった。一つ一つに仲間の想いが込められていて、涙が出た。
妻のお母さんも周りの友達に感謝をしていた。

式は和気あいあいとした雰囲気で行われた。先輩がネタで笑いを取りに行ったり、友達が作ってくれたビデオで涙したり。妻がお母さんに伝えた手紙は会場の涙を誘った。僕はただただお礼を述べるばかりだった。

この日の出来事は今でも僕たち家族にとっての一生の思い出になっている。
(それから5年後に僕の両親を招いて、改めて結婚式を開いた。こちらは式場を借りての挙式だった。)

出産。そして父になる。

早朝5時くらいだったと思う。
「お腹が痛い。陣痛が来てるかも。」
バイトで疲れ切っていた僕を妻が揺さぶり起こす。

陣痛という言葉に慌てて反応した僕は、勢いよく飛び起きて荷物の準備を始めた。それから痛がる妻を支えながら、車に乗った。

日頃通っていた産婦人科は車で5分ほどの場所だったので、比較的落ち着いて移動することができた。
病院に着くと、すぐに入院の手続きに入った。入院した病室では妻が一定の感覚で痛がった。辛そうだった。僕は腰をさすったり、飲み物を持ってきたりする事しかできなかった。陣痛が強い時は腰を抑えて欲しいと言われたので、ツボ押しの要領で腰を抑え続けた。できることはほとんどなく、痛がる妻の近くにいる事くらいしかできなかった。こういう時の男はほんとに無力だと痛感した。

それからどれくらいの時間がたっただろうか。時計は19時頃を迎えていた。子宮口が10㎝大まで開かないと出産できないと聞いていたので、その時間まで待ったのだった。陣痛の感覚が短くなると、病室から分娩室の待合に通された。

陣痛がピークに達すると、妻は分娩室に入った。僕も立ち合い出産を希望していたので、入室用の服に着替えて分娩室に入った。陣痛で叫ぶ妻。助産師さんも声をかけながら出産をサポートする。僕は手を握り、応援することしかできなかった。

頭がなかなか出てこないので、時間はかかった。それでも痛みに必死に耐えて、我が子の誕生を迎えようとしていた。

「オギャー!オギャー!」

20時33分
ついに待望の娘が誕生した。

これまで聞いたことのない、かわいらしい泣き声だった。ちょっと控えめで短く泣いていた。3000g未満の小さい子だった。天使の泣き声があるとするのなら、きっとこういう泣き声なんだろうと、その時は思った。

じんわりと涙が込み上げてきた。
感動の対面もそこそこに、我が子はさっと助産師さんに抱きかかえられると産湯につけられ、体重計にのせられ、体のサイズを計られ、新生児用の服を着せられた。この辺のスピード感はさすがといったところだった。赤ちゃんも抵抗する暇もなく、次々と事務的な作業を受け入れていった。

分娩室から出るように言われていたので、窓越しにその様子を見ていた。カメラを夢中で回したのを覚えている。興奮が止まらなかった。

妻のお母さんを始め、親族も駆け付けていた。一緒に泣きながら、誕生を祝福し合った。
僕は父になった。

べぽ
べぽ
というわけで、こんな感じの学生結婚でした。この話の続きは社会人編をご覧ください。

 

ABOUT ME
べぽ
20歳で学生結婚した2人の娘のパパ。新卒1年目で鬱になりかけ、どん底を経験し、独学で保育士に転職しました。「自分が思い描いた夢は必ず実現する」ことを伝えたくて、保育士をしつつ、SNSやブログで習慣化や目標達成術について教えています。今年で結婚11年目。時々、子育てのことや夫婦生活のことなんかもつぶやきます。

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