何をやってもやる気が出ない。
ストレスが溜まっているせいにして、無目的にダラダラとスマホゲームをしたり、ぼーっとYouTubeを眺めたりして、時間だけが無駄に過ぎてしまう。
僕はこれを「モヤモヤ状態」と呼んでいる。
この状態が続くと非常に厄介で、「何かしないといけない」という気持ちにはなっているのに、やる気が起きないせいで何もできない日が続いてしまう。
何もできずに時間だけが過ぎていたことに気付き、そこで自己嫌悪に陥って、さらにやる気が損なわれる。
こういう無限ループに陥ってしまう。
このループに陥ってしまったら、いち早くそれに気づいて、抜け出すための方法を取らないといけない。
そうしないと自己嫌悪のメーターが上がって、どんどん自暴自棄になってしまうからだ。
自暴自棄になった末路は悲惨なもので、はじめは仕事に行くのが辛くなり、それが進行していくと遅刻を繰り返すようになり、最終的には仕事に行かなくなって、引きこもり生活に突入することになる。
たちの悪い精神的なガンのようなものだ。
さて、このがんをどう治療したらよいのだろうか?
僕はある時、お風呂場の脱衣所ですみっこに溜まっているホコリの多さに気がついた。
髪の毛やらゴミが絡まって、大きな綿の様になってしまったホコリ。
「あー、きたないなぁ・・・。」
そう思って手で取って、ゴミ箱にポイと捨てた。
そこで、ハッとさせられた。
「今の自分の心の状態って、こんなホコリの様になっていて、汚れが溜まっているのではないか?
もしかして、これがモヤモヤ状態の正体ではないのか?」
そんな仮説が立ったのだ。
その仮説を検証するために、部屋の掃除を始めてみた。
まずは、しばらく掃除が出来ていなかった玄関から手を付けてみる。
子どもの傘やバランスボードなどが積み重なって、全く整っておらず、数か月前に捨てようと思って出して置いたガス缶の袋まで山積していた。
「これを整理するのは骨が折れるな。」とは思いつつも、これこそが自分に溜まっているホコリなのかもしれないと、ひとつずつ出しては、必要なものとそうでないもので分別をしていく。
意外にも使うかもしれないと取っておいた物は、全く使われることはなく、ただゴミの山を築いているだけだった。
分別してみて、不要なものの多さに驚いた。
手帚を持ってきて、溜まっていた砂やゴミを掃き出し、スッキリと整った玄関に仕上がった。
自分にはそのように思えた。
そして、掃除してみて心のモヤモヤも少しスッキリしたことに気付いた。
「こんなにも溜まっていたのか。」
気付いてはいるけど、見てみぬふりをしていたことって多い。
そういう見えない何かが知らず知らずのうちに積み重なって、モヤモヤ状態を生み出すホコリになっていたのだと、この時確信した。
これが治療方法なのかもしれない。
仮説が確信に変わりつつあることに気付き、他の場所も掃除してみた。
玄関のすぐ先にはトイレがあり、便器や床を丁寧に磨くことにした。
掃除道具には豆ピカを愛用しているのだが、それでシュッと吹いて汚れをふき取る。
ルック まめピカ トイレのふき取りクリーナー 本体 210ml
便座の表も裏も、心の垢をこすり取るように磨いていった。
20分程したところでトイレも磨き終わり、それからリビングやキッチンの掃除もやっていった。
ずっとやらなくてはと思っていた場所にも手を付けることができて、整理整頓をしてみると、ゴミ袋3~4袋分のゴミや不要なものが出てきた。
そこまでやるつもりはなかったけど、軽い大掃除くらいにはなったと思う。
見た目には整っていたように見えた部屋も、見えないところにこれほどまでのゴミが溜まっていたのだ。
そして、そのゴミの多さこそが自分に溜まっていたホコリの量だったのかもしれないと、少しゾッとした。
きれいになった部屋を見て、見た目に整っただけでなく、自分の心のモヤモヤも晴れた気がした。
まず、出すから入ってくるようになる
「循環」という言葉がある。
水が雨や川になってまた戻ってきたり、血液が全身を駆け巡って心臓に戻ってきたりするような、グルグル巡るアレだ。
循環が起きるためには、共通して必ず先に「出す」ということがスタートになる。
凝り固まって動かなくなった状態を動かすためには、先に出す。
出すからそこに余裕が生まれて、そこに新しいものが入ってくる。
そしたらまた古いものから出していく。
そして新しいものが入ってくる。
この繰り返しで循環は成り立っている。
今回のモヤモヤ状態も、きっと自分の心がどこにも動かなくなって、詰まりきってしまったから、どんどん毒のようにたまっていったのだと思う。
それが具現化したのが、ストレスのために無駄に時間を過ごしたり、汚れが溜まった部屋になってしまったのだ。
ストレスだって発散するのが大切だし、そのために大きな声を出したりする。
汚れも掃き出して、捨ててしまうから、すっきりするし清々しい気持ちになれる。
そしたら心に余裕が生まれて、新しい知識だったり、経験だったりして循環が生まれるのだ。
また、掃除には昔から「下座行(げざぎょう)」という考え方がある。
お坊さんがお寺で修行の一環として行っていることだ。
脳を一心に掃除に集中させることで、一時的にクリアな状態を生み出したり、普段気付けないことに気付くためのきっかけになったりする精神修養の一つになっている。
だから、心がモヤモヤ状態になった時に掃除をするということは、そういう意味でも理にかなっている。
今日もこのブログを書き終えたら、部屋を見回して「下座行」をやってみよう。
そしたら新しい循環が生まれて、もっと面白いことに気付けるかもしれないから。