はじめまして!べぽと申します。
僕は現在、保育士を本業としつつ、SNSやブログで目標達成術や習慣化についての情報発信活動を行っています。
もともと何の夢やスキルもなく、好きな人と結婚して、ごくごく平凡に人生を送ればいいやと思って生きていました。
しかし、20代の頃から人生が変わる出来事が次々と起こり始めて、
気付けば、今の妻と20歳の時に結婚を果たし、2人の娘にも恵まれ、
会社員として仕事をしながら、独学で保育士の資格を取得し、
ピアノも弾けないのに、目指していた保育士にもなることができ、もうすぐ4年が経とうとしています。
その時の僕の経験を、Twitterやブログで発信していたところ、
2019年の8月には僕の思いに共感してくれる仲間と出会うことができ、「C-Engine」という1か月間の目標達成コミュニティを立ち上げるに至りました。
そのコミュニティでは、
1か月でフォロワー1000人を達成させることができたり、
ギターの初心者が憧れだった曲を演奏できるようになったり、
ブログでの初収益が6万円を超えたり、
とそれぞれが実現させたかった夢や目標を叶えることができました。
今では、その時の目標達成術をまとめて、LINE@やメルマガ登録者向けに、そのノウハウやエッセンスを教えています。
こんな感じで、
「自分が思い描いた夢は必ず実現できる」
というメッセージを掲げ、夢や志を立てるお手伝いがしたいという思いを込めて、
「志立(したて)屋」
と名乗って情報発信や講座などをしております。
こうやって紹介すると、一見順風満帆でここまで来たんだろうなと思われるかもしれませんが、
その裏側では、
- 親や周囲からの反対
- 自分の能力や考えの甘さから苦悩し、挫折
- 自分が何者であるか分からなくなり、崩壊
といった葛藤がいくつもありました。
この時の話を人にお伝えするのは、極々親しい人だけなのですが、
あなたが、こうして僕のプロフィールを見に来てくださっているのも、何か惹かれるもの、ご縁を感じてくださったからかもしれません。
そんなあなたに特別に、僕の生い立ちや今までの活動を振り返りながら、
僕がどんな信念を持って今の活動と向き合っているのか、そして一体なにを目指しているのかを赤裸々にお伝えしたいと思います。
親の敷いたレールに従う人生
今ではこうして自分の意志で自由に活動しているので、
「べぽさんって、決めたことを必ずやり遂げてすごいですよね!」
「べぽさんのように、自分の芯を持って生きたいです!」
とか言われたりすることもあるのですが、もともとはそんなことはありませんでした。
むしろ全く逆で、自分の軸がなくて、人に言われたように振舞ってしまう、地に足のついていない生き方をしていました。
思い返すと、そんな価値観が作られてしまったのは小学校の頃。
僕の父は転勤族で、九州に住んでいたのですが、幼少期に、熊本や鹿児島、そして宮崎と転々と引っ越して暮らしていました。
近所に住む幼馴染の友達ができても、2~3年の内に引っ越してしまい、新しく入った幼稚園でまた新たな人間関係を作る。
やっと友達ができたと思えば、また2~3年ほどで次の県へ引っ越し。
そんなことを繰り返すうちに、
「どうせ、友達なんてできても、また別れるだけなんだ。」
と思うようになり、僕の心はだんだんと閉ざされるようになりました。
それは小学校に入ってからも同じで、最初は転校生という事で珍しがられましたが、僕が心を開かずにいたせいか、陰険なやつとみなされて、いじめられたこともありました。
このまま一人ではうまく立ち回っていけないと考えた僕は、表面的な関係の友達を作り、そのグループに入ることで自分を守っていました。
薄くて浅い人間関係。
当時はスマブラが流行っていたので、その対戦相手くらいの関係で、自分の悩みを打ち明けたり、自分の好きな事を話したりということはほとんどありませんでした。
また、両親が勉強の事にとにかく厳しくて、家で遊ぶ時間よりも勉強に励むことを口うるさく言われていました。
その時は、地元の附属中学校に通えるための学力をつけることを何よりも優先させられたほどです。
好きだったTVゲームも、中学受験が近づく頃には取り上げられて、ひたすら勉強をさせられるようになりました。
僕はいつしか、
「1日も早くこの家を出ていきたい。」
「力をつけるまでは、両親のいいなりになっておこう。」
そう考えるようになり、親が敷いたレールの上を走っていく無難な道を選ぶようになっていったのです。
大学合格の果てに得た自由と人生最大の危機
小中高と親から敷かれたレールの上を走り、自分の意志を貫かないまま、大学受験の年を迎えました。
ですが、この年ばかりは自分の野望のために、意を決して道を選択することになったのです。
一日も早く親から自由を得たかった僕は、進路は迷わず県外を選択。
その時の学力で受かりそうなところだったら、正直どこでも良かった。
とにかく、家を出たい。
その一心でした。
結果的に県外の大学に合格し、晴れて自由の身となりました。
大学では、全て自己責任でしたが、それでもありとあらゆることを自由に決めることができました。
毎日通う講義や、日々食べるご飯、付き合っていく友達、魅力的なサークルとの出会い・・・etc
自分が聞きたい講義に出席できたし、
毎日好きなものを食べても誰にも止められないし、
どんなにガラの悪そうなやつとつるんでも、離れろとかも言われない。
1つ1つが自分にとっては、どれも輝いて見えて、とても充実した日々を過ごすことができたのです。
なかでも、この時のサークル活動に僕は没頭するようになり、朝から晩まで「ボックス」と呼ばれるサークル室に入り浸るようになりました。
先輩からは自分がこれまで経験した事のないような話を聞くこともできたし、
今までは陰キャで女子と話すことなんてほとんどなかったのに、サークルのことや大学生活のことで、かなり親しく話すこともできるようになっていきました。
19歳の頃には初彼女をゲットすることができ、僕の人生史上でこれまでにない幸せの絶頂にあったのです。
「もう、これ以上は何もいらない。どうか、この幸せがずっと続きますように。」
そう願わずにはいられませんでした。
ですが、そこで思いもよらない出来事が起こったのです。
彼女の妊娠が発覚したのです。
学生結婚、そして父になる。
思えば、子どもと向き合うという自分の原点は、ここから始まったとも言えます。
正直、彼女の妊娠が発覚してからというもの
「子どもが生まれて、どうなるんだろう。」
「親に言ったら、きっと殺される・・・。」
「バイトして、就活もして、卒論もして、子育てしていく力なんて自分にはない。」
という現実から逃げるような考えが巡っていました。
「何とか、彼女には堕ろしてもらうように説得してみよう・・・。」
そんな風にさえ思うようになっていったのです。
あの時の2人での話し合いは、今でも忘れることができません。
当時は、同棲生活をしていたので、
学校から帰って来るなり
「話がしたい。」
といつになく暗いトーンで言う彼女。
とうとうこの時が来たなという気持ちで
「わかった。」
と二つ返事をしました。
午後2時過ぎで、少し日が陰ってきた頃
暗めの部屋の中で、しばらく沈黙が続いた後、
ぽつぽつと今後のことについて
彼女から話をし始めました。
自分が今どんな心境になっているのか
とにかく不安でたまらないこと
子どもを産んだ時にかかってくるお金のこと
大学をきちんと卒業していきたいこと
これからの将来のこと
彼女なりに必死に考えて、
なんとか今ある生活を維持しつつ
将来のこと、お腹に宿った命について
僕と真剣に向き合いたいということを
話してくれました。
それでも不安の方が大きくて、話す言葉に力がどんどん抜けていって、最後は涙をこぼしながら
「でも、やっぱり子どもは生みたい。」
そう訴えてきたのです。
僕もそんな彼女の真剣に気持ちに
なんとか応えたくて、
ここで逃げたら絶対にいけない―。
そう強く思うようになり、将来の不安に押しつぶされそうになりながらも、2人でより良い未来を選択する道を必死に考えました。
それはまるで、暗い海の中に沈み込んだように、どこまでも深く、真っ暗な闇の中に身が沈んで上に向かって光を探していくような気持ちでした。
気付けば二人で泣きながら、どうしよう、でも分からないと繰り返しながら、見えない光を探し求めていました。
ですが、そんな時にパッと
一筋の光が差し込んだのです。
僕がそこで見つけた答えは
拍子抜けするような
とてもシンプルなものでした。
でも、それこそが
2人が探し求めていた答えだったのです。
それが何だったのかというと
「生まれてくるこの子の命には何の罪もない。
それを自分達の都合だけで奪うことはできない。
だから、この子が幸せに生きられるように”3人”で生きていく道を探そう。」
それが2人で導き出した答えでした。
3人で幸せに生きていくためなら、世間からどんな風に言われたって構わない。
どれだけ苦しくても、必死にもがいて生きていこう。
そう誓い合って、そこから一気に事態は進展していったのです。
出産には出産育児一時金というのがあって、それで費用は何とかなること。
自分自身はバイトをして、親からの仕送りもなんとか続けてもらうように頼み込むこと。
在学中は休学願を出して、卒業までは在籍すること。
大好きだったサークル活動は抜けてしまうことになりましたが、仲間内から笑われるようなことはなく、
「がんばって!応援しているよ!」
と励まされました。
そんな最高の仲間の後押しも受けて、僕たちは学生という立場ながら結婚するという道を選択し、
そして20歳の時に、父親になりました。
そこからの日々はあっという間過ぎて、無我夢中でした。
大学で講義を受けて、夜はバイトに行き、深夜は夜泣きする娘にミルクを作って、また学校に行って。
そんな毎日の繰り返しだったし、就活も始まって、妻方の親の力を受けるために地方で就職できる道を模索しました。
結果的に、大学卒業の頃には就職先も決まり、ここからは安定して生活できる道筋が見えたように思えました。
ですが、ここからがどん底への始まりだったのです。
生きる価値を見失う
今では、あの時の経験があったからこそ、こうやって情報発信活動ができているので、貴重な時期だったと思えているのですが、
人生のどん底というのがあるのならば、まさにあの時期でした。
「ブラック企業」という言葉が一時期流行りましたけど、新卒1年目で入った会社がまさにそうだったのです。
社長はとても熱意のある方で、企業理念も素晴らしいものがありました。
社員も社長をよく慕っていて、活気がある職場に見えました。
ですが、就活って企業の良い一面しか見せてもらえないものです。
というより、この会社がいいかもしれない!と思ったら、良いところしか見なくなるものですよね。
実際に入社してみると、理想と現実のギャップに苦しむことになりました。
住宅メーカーだったということもあり、社風はバリバリの成果主義。
能力や実績さえあれば、社歴が短かろうと、年齢が若かろうと、分け隔てなく昇進の対象になっていました。
20代でも支店長にまで上り詰めた凄腕の営業マンさえいたほどです。
「僕もいつかそんな花形で出世して、高い給料をもらって、家族に良い思いをさせてあげたい。」
新入社員研修を終えた頃には、そう思うようになっていました。
ですが、僕が配属されたのは総務部で、もろデスクワークの部署。
日々の事務作業をルーティンでこなすので、成果というものが見えにくい部署でした。
社長は新しいもの好きで、研修に熱心な方でした。
最先端の働き方を実践している企業に研修に行ったかと思えば、そのシステムをいち早く取り入れたいと社員に指示を出し、
社内環境が整っている企業のコンサルを受けたかと思えば、掃除・整理整頓が大切だと、社員総出で片づけをし始めたり、
これからは金融資産も取り入れていかないと生き残れないと研修を受ければ、社員にも海外に口座を開くように進めてきたりと、
即断・即決・即行動というのを体現されたような方だったのです。
で、そのしわ寄せがどこに来るかと言うと、事務方である総務や事務に回ってくるのでした。
備品の手配や、管理表の作成、面倒な書類手続きなど、雨あられの様に降ってくる仕事に追われる日々になっていったのです。
それがルーティンの仕事にプラスされて降ってくるし、上司や先輩方も自分の仕事で手一杯という雰囲気だったので、
だんだんと自分の力でなんとかしようと考えるようになっていきました。
(それが誤りの始まりだったわけですが・・・)
気がつけば、仕事の区切りが分からなくなり、早朝に出勤しては、日付が変わる頃に退勤するという生活に変わっていったのです。
まだその時は、生まれた子どもも1歳に満たないくらいだったし、妻もろくに眠れない日が続いていて、夫婦ともに疲れ切っていました。
僕自身は、家族と顔も合わせず朝ご飯を食べては、寝てしまった後に帰宅するので、一言も言葉を交わさずに一日が終わるという日も珍しくなくなってきたのです。
「何のために生きているんだろう。」
そんな虚無感が自分を襲うようになってきました。
訳もなく、動悸がしては息苦しくなったり、出勤する車の中で泣き出したり、昼休みの間にぼーっと死ぬことについて考えたり、精神的に壊れていったのが自分でも分かるくらいには追い詰められていったのです。
悩みを打ち明けても、妻を追い詰めてしまうかもしれないし、自分の両親とは縁を切られていたので、周りに頼れる人はいませんでした。
「いっそ死んだ方が楽かもしれない。」
だんだんとそんな気持ちに囚われてしまうようになり、どうやったら楽になれるのかを日々考えるようになっていきました。
そして、12月の早朝にキッチンにあった包丁を手に取り、自分のお腹に突き立てようとしたのです。
自分にはまだやるべきことがある
突き立てる手には力はあったけれど、お腹を刺すには勇気が出ませんでした。
何度も手に力を込めたけれど、どうしようもなく怖くて、刃を突き立てることはできなかったのです。
そんな自分がどうしようもなく滑稽に思えて、自分が知らない心の奥底に、
「生きたい」
という気持ちがあった事に気付かされたのでした。
そして、力が一気にスーッと抜けて、ふと隣を見た時に幸せそうに寝ている妻と娘の顔を見たのです。
<イメージ>
朝の日の光が差し込んで、その時の娘の寝顔はどこか笑っているようにも見えました。
「あー、何やってたんだろう自分。」
急に今やろうとしていたことが、ばかばかしくなり、そしてやっぱりこの子のために、妻のために生きたいと思えるようになっていったのです。
自分にはまだやるべきことがある。
捨てるくらいの命なら、ここからもう一回やり直してみよう。
自分の中で、その誓いを立てて、入社2年目の4月に会社を辞めました。
そして、
きっと自分の様に仕事と育児の両立で悩んでいる人たちが居るに違いない。
そんな人たちの力になれるような、もっと社会に貢献できるような仕事をしよう。
そう決めて、保育士になる道を選んだのです。
そこからは、怒涛の日々だったというか、紆余曲折はあったものの、転職をして仕事をしつつ、通信講座で保育士資格を取るための勉強をするという日々は続きました。
そして、死のうとしていたあの日の3年後には、保育士資格を取ることができたのです。
共感してくれた仲間とつながり合う
今では、保育士として4年目になり、忙しいながらも、かわいい園児達に囲まれて、充実した日々を過ごしています。
家族も4人になり、26歳の頃には自分の家を持つことができ、2匹のワンちゃんも迎えて、にぎやかな生活になりました。
最近はアウトドアにハマっていまして、夏の時期になると、週末は家族でキャンプをして、たき火を囲って将来のことを語り合いながら、きれいな星空を見て過ごすのが趣味になっています。
一度はボロボロになった僕でしたが、今こうして生きて、天職ともいえる仕事を楽しんでいるところです。
その時の自分がどうやって「志(こころざし)」を貫けたのかを、本やセミナーなどで学んだことをまとめて、LINE@やメルマガ、SNSやブログの読者さんに向けて発信しています。
2019年の8月にはC-Engineという目標達成のコミュニティを運営させて頂くことになったし、2020年には、「Fusion」という講座を開くこともできました。
こうして、自分の生き様を発信して、共感してくれた仲間とつながり合うことができるのが、僕自身のライフワークにもなっているのです。
参加者から、
「今までできなかった目標を達成できて良かったです!」
「毎日過ごしていくのが、楽しくなってきました!」
そういった声を頂けることが、僕にとっては何よりのエネルギー源になっているし、これからもより多くの人のために情報を発信していきたいと思っています。
僕が情報発信する理由
僕自身が保育士になることができ、そして僕のコミュニティに参加してくれた方たちが、自分自身の目標を達成できたことを経験して、1つ確信できたことがあります。
それが何かというと、
「誰もが自分らしく生きることができる。」
ということです。
人には、自分の思い描いた夢を叶えるための力というのが生まれながらに備わっています。
最初はミルクが欲しい、おもちゃが欲しい、遊びに行きたいという欲求だったかもしれませんが、それが大人になるにつれて、大きなものに変わっていきますよね。
そして全部とは言いませんが、少しずつ手に入れてきたものがあると思います。
しかし、一方で夢や目標を叶えようとしたときに、
- 親から植え付けられた価値観
- 社会の中で生き抜くために押し固められた枠
- あるべき論に捉われた選択肢
そういったものを知らず知らずのうちに、あるいは知っていても受け入れざるを得ない環境に身を置いていたために、それらが壁のように立ちふさがって、行く手を阻んでしまっています。
こういう時って、価値観・枠によって視野が狭まっているんです。
ハローワークや職業図鑑に載っている仕事だけが、世の中の全てではないし、
これから先の未来では、枠にとらわれずに自分らしく生きた方が生きやすい世の中になっていくとも言われていますよね。
ですが、実際はどうかというと、行きたくもない仕事に行って疲れ切って、ご飯を食べて寝ては、また仕事に行く。
という生活を繰り返して、疲れた顔してお子さんの迎えに来る保護者もいます。
生活するために稼がなきゃいけないから、すごく我慢して必死に働いているシングルマザーの方だっていらっしゃいます。
それらが良い悪いというのは、その人たちの価値観なので、ここでどうこう言う気はないのですが、これだけは強く言わせてください。
自分の生き方は100% 自分で決められるし、それを実現させることも可能です。
なので、今の人生が苦しいと思うなら、あきらめないで必死に生き抜いて、あなたが幸せになれる道を必死に追求したらよいと思うんです。
そして僕はそのお手伝いをしたい。
そう思って情報発信活動を続けています。
もし、あなたがそういった夢の叶え方や、目標達成の方法について興味があるのであれば、メルマガで詳しくお伝えしていますので、ご登録をお願いします。
全て無料で読めますので、1通目だけ読んでみて、合わなかったら即解除してもらっても結構です。
ですが、もしそれが少しでも日々を生きるヒントになったり、あなたがやる気になるきっかけになれたなら、僕にとってこれほど嬉しいことはありません。
そしてご縁があれば、僕のコミュニティで会えることを楽しみにしています!
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